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小説【海賊とよばれた男】上巻のあらすじ(ネタバレ)!

百田尚樹さんの小説、【海賊とよばれた男】が話題になり、映画化されますね。

これから映画を観にいく予定の方で、あらすじとネタバレを見てからでも映画を観るよ!

という方は読み進めて頂いてもいいですが、ネタバレを見たく無い方はご遠慮下さいね。

では、上巻のあらすじ(ネタバレ)です!

 

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小説【海賊とよばれた男】上巻のあらすじ(ネタバレ)!

 

小説【海賊とよばれた男】上巻あらすじ

http://honto.jp/netstore/pd-book_25232013.html

 

物語は、1945年8月15日、日本が太平洋戦争に負けた日から始まります。

主人公の国岡鐡造は、国岡商店という石油販売業を経営しています。

 

その国岡商店の本社は、銀座にある『国岡館』。

国内の営業所は8店舗、海外の営業所はこれをはるかに上回る62店舗もありました。

 

戦争に負けた当時の日本は、見渡す限り焼け野原で、仕事も無く、食べる物を調達するにも困る様な状況でした。

国岡商店の本社ビルは奇跡的に空襲の爆撃を受けずに済みましたが、仕事は全く無く、海外の営業所は全て失ってしまいました。

 

そんな中、国岡鐡造は本社ビルに従業員を呼び出し

愚痴をやめよ。愚痴は泣き言である。

全てを失おうとも、日本人がいる限り、この国はかならずや再び立ち上がる日が来る。

と社員に力強く言い、『直ちに建設にかかれ』の号令で、社員達の背筋がピンと伸びたのでした。

 

更に国岡鐡造は、仕事が無くなり海外営業所から戻ってくる社員達を全員クビにする事はしない!と宣言したのです。

 

借金だらけで、支払う給料も無いのにクビにしない。という国岡鐡造に対し、側近の役員達は反対しました。

 

ですが、『国岡商店が潰れる様な事があれば、ぼくは店員達と共に乞食(こじき)をする!』とまで言う国岡鐡造の強い意志が本物だと解り、皆で力を合わせて復興させる決意を固めました。

 

それから国岡鐡造は、自分の財産でお金になる物は全て売り、社員の給料にあてました。

そして、やれる事はなんでもやるといった姿勢で仕事を探す様にと、社員達に指示しました。

 

ラジオ修理

それから、国岡商店に新たな人物が加わりました。

元海軍大佐だった藤本壮平という男です。

 

藤本壮平は、GHQが出した政策のうち、ラジオの修理をするといった政策を国岡商店に持ち込んで来たのです。

 

当時、電機工場は何度も空襲に見舞われ、稼働出来ない状態でした。

800万台あったラジオ受信機のうち、満足に聞こえるのは200万台だけです。

 

そのラジオ修理の仕事を国岡商店がやらないか?といった話を藤本壮平が持って来たのでした。

藤本壮平も国岡商店に入店し、『ラジオ部部長』となり、ラジオ修理が始まりました。

 

タンク底の油

冬に向かうにあたり、日本は製油所の操業が中止していたので灯油の確保にも困っていました。

さすがにGHQも日本人の暮らしが成り立たないという事で、若干分の灯油を配給しました。

 

しかし、わずかな量では経済が賄えるはずもなく、日本政府はGHQに対し、石油輸入を要請しました。

そしてGHQからの返答は、『旧海軍のタンクの底にたまっている油を汲み出せ。』といった返事でした。

 

そのタンク底の油を処理して、再利用するならそれを使ってもいい。といった嫌がらせとも取れる様な返事です。

 

そのタンク底に残った油というのは、海軍の屈強な軍人でさえも汲み出せ無いほどの油でした。

ドロと油の沼といった感じで、ガスも充満しており、悪臭を放っています。

しかも、ポンプも使えない状態なので、自力で少しずつ汲み上げるにはかなりの危険が伴います。

 

この仕事は断りましょうという、店員達の声を遮る様に、国岡鐡造は『国岡商店のモットーの1つは、仕事は金で選ぶものではない。という事だ。

今は、ラジオ修理など、さまざまな事業をしているが、今までずっと油一筋にやってきた。この事業を戦後の第一歩とするのだ。

 

それなら、条件を出して引き受ける事はどうでしょう?という店員に国岡鐡造は、『タンクの底を汲み出す事業は国岡商店だけの為ではない。日本に石油が配給されることになるかもしれない事業なのだ。』言ったのです。

 

日本の為だ』と言う国岡鐡造の言葉に、店員達も目覚め、動き始めます。

 

早速、タンク底の油を汲み出す作業に取り掛かります。

まず、店員の宇佐美が18分間、タンクの中で汲み出す作業をしました。

コールタールまみれになった宇佐美は、出てきた途端に意識を失ってしまう。といった壮絶な現場でした。

 

手足がただれ、疲労と呼吸困難で倒れる者が後を絶たない状況にも関わらず、店員達は不平不満を口にするどころか、笑い声が飛び交う位活気あふれる現場になっていきました。

 

その作業は1年以上にも及びました。

その間、石油配給公団による『販売業者指定要領案』の中身がとんでもない事になっていました。

 

それは、国岡商店が指定販売業者から外されているという事です。

日邦石油と大和石油の計画により、国岡商店を排除する為の案でした。

 

しかし、その計画も、国岡商店の店員達の頑張る姿を見ていたGHQ参謀部・第四部のアンドレー・チャンによって、修正される事となります。

 

アンドレー・チャンは、かつて『タンク底の油を汲み出せ』といった人物で、その後、国岡商店の店員が作業する姿に心打たれた人物の1人です。

 

石油業者や役人は、国岡商店を誹謗中傷する内容の怪文書を、商工省や石油科、GHQ等に、幾度となく送りつけていましたが、これもアンドレー・チャンの『誰が書いているか捜査して、その関係者には、軽くない処分を受けさせる』という言葉で、ピタリと止んだのです。

 

こうしてラジオ修理から始まり、再び石油業界へ戻る事が出来る可能性を掴んだ国岡商店は、国岡鐡造の『国岡商店の戦いはこれからだ。これからは龍が天に向けてかけあがる。』の言葉と共に復活の道へ突き進む事が出来るのでした。

 

石油との出会い

国岡鐡造は、明治18年福岡県宗像郡赤間村に生まれました。

父、徳三郎は、染め物業を営んでいました。

 

母の稲子は大人しい性格でしたが、反面、一度決めたら貫き通すといった面もあり、国岡鐡造の性格は母から譲り受けたものだったのかもしれません。

 

子供の頃の国岡鐡造は、体が弱く、風邪をよく引く子供でした。

草の葉で眼球を傷付けてしまい、失明は免れたものの、かなり目が悪くなってしまいました。

 

そんな国岡鐡造は、世の中で戦っていく為には教育を身につける事が大切だと思っていたので、必死に勉強しました。

 

そして当時、日本で2番目の高商として設立された神戸高商(現在の神戸大学)に入学したのでした。

 

在学中に国岡鐡造は、たまたま読んだ新聞の記事に『油田が発見された』という記事が書かれている事に興味を持ちます。

国岡鐡造は、その油田が発見された秋田県まで出向いていき、油田開発の技師に話を聞く事が出来ました。

 

それが国岡鐡造と石油の出会です。

国岡鐡造は、いずれ石油は世界を変えるだろう。といった様な、漠然とした予感があったのです。

 

日田重太郎

国岡鐡造が日田重太郎と出会ったのは、橋本医院の客間でした。

医院の主、橋本茂は学生の話が好きで、よく学生を招き入れていました。

 

日田重太郎は橋本茂の妻の兄であった為、橋本医院にはよく顔を出しています。

その日田重太郎という人物は、大変な資産家で、国岡鐡造の心に眠る何かに気づいていました。

 

国岡鐡造に興味を持った日田重太郎は、自分の息子の家庭教師を国岡鐡造に頼んだのでした。

それから、明治42年に神戸高商を卒業した国岡鐡造は、小麦と機械油を売る『酒井商会』に丁稚(でっち)として入店します。

 

その頃、国岡鐡造の実家は父が営む、染め物業がうまくいかず、兄弟も住み込みで働きに出てしまい、家族がバラバラになっていました。

それを知った国岡鐡造は、この時ほど金が欲しいと思った事はありませんでした。

 

ある日、日田重太郎に誘われ、出向いていった国岡鐡造は、日田重太郎から重大な話をされます。

 

国岡はん。あんた独立したいんやろう。

今、僕は京都にも別宅がある。それを売れば8千円ほどの金になる。そのうちの6千円を国岡はんにあげる。』と言ってきたのです。

 

国岡鐡造は数日悩んだ末、日田重太郎の厚意を受ける決心をします。

そして、日田重太郎から条件を出されます。

 

1つは、家族仲良く暮らす事。そして、自分の初志を貫く事。この事は誰にも言わん事。

国岡鐡造は、喉が詰まり言葉も出ず、ただ涙が溢れてきました。

 

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国岡商店旗揚げ

そうして明治44年に九州の門司(もじ)で、『国岡商店』を旗揚げしました。

国岡鐡造25歳の時でした。

 

国岡鐡造は、まず日邦石油を始めとする石油会社から油を仕入れ、機械油を扱う事から始めました。

そして、バラバラになった家族も呼び寄せ、国岡鐡造の元でまた1つとなりました。

 

伯父からの縁談で『ユキ』という嫁をもらい、順風満帆に見えた国岡鐡造でしたが、決意とは裏腹になかなか仕事の方は軌道に乗りませんでした。

独立して四年目を迎える春には、日田重太郎からもらった資金が底をついたのです。

 

そして、国岡鐡造は日田重太郎を訪ねました。

 

事情を説明し、国岡商店を廃業する覚悟を告げた国岡鐡造に、日田重太郎は、『三年であかんかったら五年やってみいや。五年あかんかったら十年やってみいや。私にはまだ神戸の家が残っている。あれを売ったら七千円位の金は出来る。

 

それでもあかんかったら、一緒に乞食(こじき)をやろうや。

 

それを聞いた国岡鐡造は、もう一度徹底的に商売について考え直そうと、涙を拭いながら死んだ気になってやってやるという闘志に燃えました。

 

それから、国岡鐡造は門司の対岸の下関にある山上組(現在の日本水産)に交渉に行きました。

現在使っている灯油に比べ、軽油は原価が安く、しかも灯油と同じ働きをするという事を実験によって、証明してみせたのです。

 

ですが、販売するにはエリアが決まっていました。

そこを考え、国岡鐡造は海の上で船に直接油を売るという行動に出ました。

 

協定を破って油を売っているという抗議にも屈せず、『私は協定を破っていません。ここは海の上です。』と言って、販売を止めようとはしませんでした。

 

やがて、国岡商店の名は『海賊』の異名を轟かせていました。

それから国岡鐡造は、中国の満州で、持ち込んだ油の性能を確認してもらい、日本の油が外油に負けない証明をしたのです。

 

そして、大正5年に中国の大連に支店を作りました。

初の海外支店でした。

 

そこでは、国岡商店の油が寒さに強いという証明を海外の3社と共に行った実験により証明出来たのです。

そして、国岡商店は大きくなっていきました。

 

関東大震災の時に、一時的に資金繰りに困る事態に陥りましたが、そこも切り抜ける事が出来ました。

 

離縁

国岡鐡造には愛する妻ユキがいます。

ですが、12年経っても子供は授かりませんでした。

 

その事を理由にユキから国岡鐡造へ離縁の話を申し出ました。

子供が欲しいという気持ちが国岡鐡造にもあったものの、ユキへの愛情は変わりありませんでした。

 

しかし、それを一番気にしていたのがユキ自身だったのです。

鐡造さんには、新しい奥様が必要です。新しい跡取りが必要なんです。』と、国岡鐡造と国岡商店の為に別れを決心した事を告げ、その決心が固い事を国岡鐡造も理解し、2人は別れる事にしました。

 

昭和二年、国岡鐡造は知人の紹介で新しい妻になる山内多津子と結婚しました。

そして、国岡鐡造にとって待望の長男を授かるのです。

 

昭和十八年になると日本経済は、更に厳しい状況になりました。

あらゆる物資が欠乏し、国民は耐乏生活を余儀なくされました。

 

そんな中、昭和十九年にサイパン島がアメリカ軍に占領されました。

サイパンをめぐる戦いで日本も巻き込まれる事となったのです。

 

東京はサイパンから飛来したB29の爆撃を受け、内地も安全な場所では無くなりました。

国岡鐡造の長男、昭一は十七歳になっていました。

父の国岡鐡造と共に東京の空襲下での暮らしに泣き言ひとつもらしませんでした。

 

そして人類最悪の原子爆弾が広島、長崎に落とされ、ついに日本は敗戦しました。

その時、日本の備蓄石油は、ほぼゼロに等しかったのです。

 

 

海賊とよばれた男』下巻に続く。。。

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