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【海賊とよばれた男】は、なぜ海賊なのか?日章丸事件とは?

第10回本屋大賞を受賞した百田尚樹さんのベストセラー小説『海賊とよばれた男』ですが、私は最初『海賊の話だろう』と思ってたんですよね~。

でも、海賊の話じゃなく歴史経済のお話なんです。

では、何故海賊と呼ばれていたのか?

そして、日章丸事件についても紹介していきたいと思います。

 

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【海賊とよばれた男】は海賊の話じゃないのに、何故『海賊』?

 

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海賊とよばれた男』は、モデルとなった出光興産の創立者、『出光佐三』さんの人生、成功を掴んだ実話から作られた小説です。

主人公の『国岡鐡造』が出光佐三さんをモデルとして描かれています。

 

国岡鐡造は、国岡商店という石油販売業を営むんですが、この国岡商店をたくさんの苦難を乗り越えながら大企業に成長させていくといったストーリーです。

 

第二次世界大戦後の日本で、戦争の傷跡が多く残る状況の中、国岡鐡造は復興の為、日本の再建に向けて国岡商店のわずかな店員と石油の販売に力を注ぎます。

 

九州の門司で石油の販売をするのですが、この地域では元売りの日邦石油から与えられた地域じゃない場所では石油の販売を禁止されていました。

 

要するに縄張りって事ですね。

 

 

国岡鐡造はいろいろ手段を考え、結局海の上で漁船を待ち構えて油を販売していくといった手段に出ます。

 

そうして、海の上での販売方法について『海賊』といった呼ばれ方をされる様になるんですね。

とにかく、国岡鐡造の一枚上手な戦略を次々と実行させていく様は、爽快な気分にさせられます。

 

小説ですから、もちろん脚色されている部分もありますし、登場人物も全てが実際の人物といった訳ではありません。

 

ですが、実話の部分でも『フィクションじゃないの?』と思わせる人物や出来事も書かれているので、『え~、この部分はノンフィクションなんだ。』と、ビックリさせられる様な実話が多々あるんですよね~。

 

詳しいあらすじに関してはこちらの記事をどうぞ ↓

小説【海賊とよばれた男】上巻のあらすじ(ネタバレ)!

小説【海賊とよばれた男】下巻のあらすじ(ネタバレ)!

 

【海賊とよばれた男】に出てくる日章丸事件とは?

 

海賊とよばれた男に出てくる日章丸事件とは

 

その『海賊とよばれた男』の中に、『日章丸事件』という話が出てきます。

この『日章丸事件』は実際にあった事なんですよね。

 

では、その日章丸事件について簡単に説明したいと思います!

 

当時イランは、世界最大と推測されていた石油資源がある国でした。

第二次世界大戦後、イランは独立していたのにも関わらず、イギリスの支配下にいましたので、その石油資源もイギリスの資本の元にあるとされていました。

 

なので、イラン国庫にも国民にも利潤が充分に回らない状態でした。

そんな中、イランはとうとう1951年に石油の国有化宣言をしたんです。

 

そうなると、イギリスは黙っていません。

中東に軍艦を派遣して石油を買付けに来たタンカーを撃沈する。と国際社会に表明したんですね~。

 

こういったイギリスの態度にイランも怒り心頭って訳ですよ。

戦争が近づきつつある。といった状況にまで関係は悪化していきました。

 

その頃日本も戦争に負けて、アメリカやイギリス等の連合国に占領されていたんですよね。

占領が終わったとされていても、石油に関しては独自のルートで自由に輸入する事が出来ませんでした。

 

石油が自由に輸入出来ないという事は日本の経済発展にも大きく影響する部分なので、日本の経済発展の為には石油の独自輸入を改善せずに復興は出来ない。と出光興産の創業者『出光佐三』さんは考えたんですね。

 

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【海賊とよばれた男】のモデル『出光佐三』がとった行動とは?

 

海賊とよばれた男の出光佐三がとった行動とは

 

イラン国民の貧窮と日本の経済発展の為に出光佐三さんが考えた事というのは、まず『イランに対する経済制裁に国際法上の正当性は無い』という事でした。

 

そういう事ならばと、極秘裏に日章丸二世(タンカー名)を派遣する事にしたんです。

でも、その前にイラン首相と話をしなければいけません。

 

なので出光佐三さんは、専務の出光計助さんを交渉者として1952年、第三国経由でイランに極秘派遣し、イランのモハンマド・モサッデク首相と会談させました。

 

交渉は長びいた様ですが、合意に取り付ける事に成功。

日本政府に外交上の不利益を与えないための方策、国際法上の対策、法の抜け道を利用等の書類や入念な調査などを整えて、1953年3月23日に日章丸二世は、神戸港を極秘裏に出港したんです。

 

航路も偽装しながら、なんとかイギリス海軍から見つからない様に、イランに到着する事に成功。

到着してからは、もちろんマスメディアにも知られる事となり、国際的な事件として報道されました。

 

日本でも、武装を持たない一民間企業が、当時世界第二位の海軍力を持つ『イギリス海軍に喧嘩を売った事件』として連日新聞の一面で報道されたんです。

 

そして4月15日、石油を積んだ日章丸はイランのアーバーダーン港を出港し、イギリス海軍の裏をかきながら回避していったそうです。

そうしながら海上封鎖を突破し、5月9日川崎港に入港する事に成功しました。

 

しかし、イギリスのアングロ・イラニアン社は、積荷の所有権を主張して出光を東京地裁に提訴。

日本国政府に、出光を処分せよといった圧力がかかったんです。

 

でも、拍手喝采しながら叫ぶ世論や、イギリスの石油独占に対して心良く思っていなかったアメリカからの黙認等もあり、処分は見送られたんですね~!(良かった良かった。。)

 

裁判でも、出光の正当性が認められた形となり仮差押え処分の申し立ても却下されたんです。

そうして、出光側の勝利に終わったんです。

 

すごいお話ですよね。

出光佐三さん。。。日本経済の発展の為にこんなすごい事を成し遂げた人物なんですね。

 

ちなみに、この『日章丸事件』によって、世界的に石油の自由な貿易が始まるキッカケとなったそうなので、日本だけじゃなく世界的にも有名な事件として語り継がれているんでしょうね。

 

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